2011年から
2018年は8回目のクリスマス
1年で最も日照時間の短い
冬至12月22日
平成最後のクリスマス
末広がりの8
横にすると∞
無限
平成から
新しい時代へ
・・・サンタの訪問
・・・風船打上げ
・・・イルミネーション
・・・お伺い先の災害公営住宅・仮設住宅
・・・サンタ合流・解散地点
12月23日(日)天皇誕生日
岩手県
10:00頃 岩手郡雫石町
11:00頃 紫波郡矢巾町
14:00頃 気仙郡住田町 本町団地仮設
15:30頃 陸前高田市高田町栃ヶ沢210-1 栃ヶ沢県営住宅駐車場
16:30頃 大船渡市盛町みどり町20−1 盛町河川敷公園(みどり町団地近く)
18:00頃 高田町中田
18:30頃 鳴石仮設(※供与終了)
19:00頃 山苗代仮設
19:30頃 米崎町佐野
20:30頃 陸前高田宿着
12月24日(月)クリスマスイブ
岩手県、宮城県、福島県
9:00頃 陸前高田市小友町獺沢155−78 モビリア獺沢仮設展望所
10:30頃 気仙沼市
14:30頃 南相馬市
16:00頃 相馬野馬追祭場地(南町団地近く)
17:00頃 あかりのファンタジーイルミネーション in おだか巡り
17:40頃 道の駅南相馬イルミネーション巡り
18:00頃 送迎
東北各地にサンタが出没
風船をみんなであげたり
お宅に訪問してゲームしたり
🎈風船打ち上げは約30分
🎅サンタ訪問は約20分
平成最期のサンタとの時間はあっという間です
自分ががんばっていることとか、
これからがんばりたいこととか
サンタに手紙を書くと叶うらしい
こんな噂もあるとかないとか
サンタが訪問するお宅は
いつかどこかで
「サンタさんに願い事」を
書いたことのあるご家庭です
参加できた人はラッキー💡
多くの人が集まれば集まるほど、空が色とりどりの風船に彩られたキャンパスに
🎈風船打上げサンタ🎅チーム
予定時刻を前後する可能性があります
サンタ🎅チームから逐一発信される状況をチェック💡
次のどれかを見れるようにしておけば大丈夫です💡
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夢の語源は寝目(いめ)
寝ても覚めても
考えずにはいられないモノゴト
祈りの語源は意宣(いのる)
意のままに沿い
今ある境遇に沿って生きていこう
という素直な心持ち
意を宣べる
という積極果敢な姿勢
願いの語源はねぎらい
よくしてくださってありがとうございます
という感謝のきもち
寝ても覚めてもやまない夢に
迷いならがも
積極果敢に挑む子ども達へ
寝ても覚めてもやまない夢が
まだ見つからない子どもたちへ
「道しるべ」が見つかりますように
2012年陸前高田うごく七夕祭り、大船渡七夕祭りで「サンタに願い事を書こう」ブースを設け、風船を打ち上げました。
※前半は2012鶴のひと声さんの折り鶴集めの様子。風船打上げは5分30秒くらいからです。
お知らせもみてね♥
こちらのお子さんのお手紙には
2012年から2014年まで
いつもDSのゲームソフトなど
「欲しいモノ」をサンタへの手紙に書いていました
しかし親御さんは
お子様の夢をわかっていました
「野球選手」という夢
2014年は希望のDSソフトとサンタとゲームで盛り上がりました
2014年3回目のクリスマス
子ども達に空虚な何かを感じました
(プレゼントって何なんだろう?)
サンタが感じるジレンマでした
プレゼントの本来の意味は
「あらかじめあるものを前に差し出す」
ギフトは「才能」
プレゼントって
眠っている才能を引き出す(ヒント)
のようなものを贈るということなのではないか
「みちしるべを贈るクリスマス」
はこうして生まれました
こうして2015~2017の3年間
夢へのヒントとなれば・・・
と(みちしるべのプレゼント)が贈られました
すると2018年
彼はスポーツ野球少年団の主将になっていました!
情報提供くださったお母さま
掲載を許してくれたこうすけくん
ありがとうございました
こちらのご家庭には毎年お邪魔しておりまして
ご祖母様 叔母様 ご両親と
あたたかく二人のお子さんを見守っていらっしゃいます
夢へのみちしるべ
これももちろん大切ではありますが
もっとも大切なことは(夢に安心して向かえることを自分に許せる環境)があること
彼らを応援するご家族の存在がとても大切だと感じられました
大切な人を失った
家を失った
仕事を失った
など
苦難に立ち向かわざるを得ない
多くのご家庭がありました
大変な苦境にありながら
いかにひとりの大人として
家族として
地域として
踏ん張るのか
とても踏ん張り切れる状況でなくとも
なんとか踏ん張ってきた
その力の源泉は何だったのか
注意深く見ると
先のご家庭の姿が浮かび上がってきます
(この子の為に)
生きる目的がひとつになっていること
家族 地域が一丸となっていること
近代に失われて久しいそれらを
取り戻した東北のこれからに
学ぶことはまだまだありそうです